2011年3・11に気づいたこと

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 ごきげんよう、みーです。

妊娠中、ツワリの期間は、レモンや梅干しなど酸っぱいものが食べたくなると言われています。

私は、酢飯を食べるのがいいと思います。

☆ 八竹のお寿司 ☆

昨日3月11日は、私のひいおばあちゃんの祥月命日でした。

祥月命日には、ひいおばあちゃんの大好物だった四谷にある「八竹」のお寿司を食べるというのが、我が家の習慣です。

毎年ずっと続いていくイベントだと思っていましたが、「八竹」は今月3月で閉店してしまいます。
大正13年創業100年に渡る営業だったそうです。

似たような箱寿司のお店はあるけれど、やっぱり「八竹」は「八竹」なので、もう食べられなくなると寂しいです。

サイゼリア新大久保明治通り店が閉店したから、ビックボックス高田馬場店行けばいいやみたいな簡単な話ではないから、困ります。

家族みんなの思い出の「八竹」。

私にとって特に思い出に残っているのは、2011年3月11日に食べた時です。

東日本大震災の日です。

その時、私は妊娠していました。

まだ家族には妊娠していることを、秘密にしていました。

そして、妊娠2ヶ月くらいでツワリの真っ只中。

「実は、妊娠していて、実はもう2ヶ月で、ツワリすごいので食べられません。」などと、ただでさえ大地震が起きて、混乱している時に家族に言えませんでした。

しかも、私は「八竹」のお寿司が小さい頃からあまり好きではありませんでした。

理由は、いつも食べている江戸前寿司と違うからです。

箱寿司の酢飯がみちみちな下の段が苦手でした。
上に乗っているネタがペラペラで、穴子とか鯛とか食べられないものが乗っているのも苦手なポイントでした。

マグロ、たくあん巻き、かっぱ巻きしか食べられなかったので、「八竹」のお寿司は年に1回食べさせられる、よく分からない苦手な部類のお寿司だと思っていました。

しっかり食べた記憶がなく、毎年2個くらい食べて、夕飯の時間をやり過ごしていました。

しかし、2011年3月11日は、そうではなかったのです。

妊娠していることを秘密にしておきたい、なおかつ、お腹が空いているのに他に食べるものがなかったのです。

私は、「八竹」のお寿司を無理してでもありがたく、いただくことにしました。

食べてみると
「あれ?こんなに美味しいお寿司だったっけ?結構食べられるじゃん。」と箸が進みました。

酢飯だからサッパリ食べられて良かったのか、ペロリと一人前(一人前以上?笑)平らげてしまいました。

☆ その頃、娘のパパは何処に居たか ☆

娘のパパは、その頃、仙台にいました。

宮城県の大学の院生だったので、仙台に住んでいたからです。

東日本大震災が発生した時、私は娘のパパにメールを送りました。

しばらくしてから「元気だよ(^^)/」という返事が、来ました。

☆ 神様からのサプライズメール ☆

「ん?ひと言?離れた場所にいる妊娠していて結婚しようとしている女にむかって、

たったのひと言しか返事しないなんて、何かの間違いだ。」

と思いました。

あ、これはきっと神様のサプライズ。

「彼は、大震災で被害を受け死んでしまっているんだ。
神様が、私をかわいそうに思って、メッセージを送ってくれたんだ。

きっと、「天国で元気だよ(^^)/」という意味なんだ。

死んだ彼は、メールが送れないから、神様の力で送ってくれたんだ。

神様は、今日、たくさんの人にサプライズメールを送らなくてはいけないので、

たったひと言なんだ。」と直感しました。

死んでしまったら仕方がない。

これからどうやって子供を育てようかなと、ぼんやり考えることにしました。

☆ 東日本大震災から後のこと ☆

それから何日か後に、娘のパパがまだ生きていることが発覚し、無事に結婚できました。

娘のパパは、大震災発生時、大学の研究室にいたそうです。

「死ぬかと思った笑」と、何ごともなかったかのように、後日、

当日の様子を冷静に話してくれました。

妊娠中に体験した東日本大震災と、ひいおばあちゃんの祥月命日に食べていた「八竹」のお寿司が美味しかった思い出は、共に忘れないでいたいです。

そして、ツワリ中は酢飯なら食べられることが分かったので、2人目を妊娠した際は(一切予定ないけど笑)お寿司を食べようと思います。

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